
今日から先生だ!
と意気込んで、特別支援学校の門をくぐった4月。 しかし、待っていたのは、私が思い描いていた「にぎやかな教室」とは真逆の、奇妙なほどに静かな日常でした。
目の前の子どもに一生懸命話しかけても、返ってくるのは静かな視線だけ。

自分は、ただ先生という役を一人でお芝居しているだけじゃないか…
もし今、あなたがそんな「一人芝居」のような虚しさを抱えているなら。 この記事を読んでみてください。15年前、悩み考え抜いた私が、今のあなたに一番伝えたいことを書きました。
理想と現実のギャップ
静かな教室
十数年前、私が大学時代のボランティアで惹かれたのは、知的障害のある子たちが元気に走り回る、活気あふれる学校でした。
しかし、配属先は「肢体不自由」の特別支援学校。
[特別支援学校における障害種別]
「学校教育法第七十二条」より一部抜粋
特別支援学校は、視覚障害者、聴覚障害者、知的障害者、肢体不自由者又は病弱者(中略)障害による学習上又は生活上の困難を克服し自立を図るために必要な知識技能を授けることを目的とする。
私が赴任したのは、身体の動きに困難がある子どもたちが通う学校でした。
校内を見学して、最初に感じたのは

静かすぎる…。
という戸惑いです。 在籍する子の多くは「重度重複障害」と呼ばれ、知的障害を併せ持つ、障害の重い子どもたちでした。
車椅子やバギーで過ごす子どもたち。言葉でのやり取りは難しく、教室内にはふんわりと落ち着いた、でもどこか掴みどころのない空気が流れていました。 何よりも不思議だったのが、「子どもと同じくらい大人がいる」という光景です。
子どもと向き合う時間よりも、大人同士で体調や介助の確認をしている時間の方が長く見える。

僕が憧れた学校は、ここじゃないのかもしれない…。
そんな強烈なカルチャーショックから、私の教員生活は始まりました。
先生という名の一人芝居
私は小学部の「重複学級」の担任になりました。 担当した児童は、自分から体を動かすことが難しく、表情の変化もほとんど見られません。さらに、経管栄養や吸引などの「医療的ケア」も欠かせないお子さんでした。
授業の時間、私は必死でした。 少しでも反応が欲しくて、一生懸命に話しかけ、目の前で色鮮やかな教材を動かしてみる。 でも、返ってくるのは静かな視線だけです。

…あれ、伝わっているのかな?
手応えが何もないまま、時間だけが過ぎていく。 自分がやっていることは、本当にこの子に届いているんだろうか。 気がつくと、「先生という役を、僕が一人で演じているだけじゃないか」という、まるでお芝居をしているような虚しさが、胸の中に広がっていきました。
「身体の勉強」という、もう一つの壁
さらに私を困惑させたのが、「自立活動」の時間でした。 肢体不自由校では、いわゆる「身体の勉強(身体アプローチ)」が教育の核となります。
[自立活動の6区分]
1.健康の保持
2.心理的な安定
3.人間関係の形成
4.環境の把握
5.身体の動き
6.コミュニケーション
肢体不自由校では、特に「身体の動き」や「健康の保持」が重視されます。
大学で学んだ知識とはかけ離れた、実践的なアプローチ。 「からだのゆるめ(筋緊張の緩和)」などの活動中、ベテランの先生の真似をして体に触れてみるものの、心の中では

これは何の時間なんだろう…。
と叫んでいました。
自分のやっていることに根拠が持てない。

自分はこの子に、何を教えてあげられるんだろう
そんな葛藤が、何年も、何年も続きました。
その「葛藤」が、子供を救う第一歩
あれから15年。 肢体不自由の学校で過ごす中で、私は少しずつ、言葉を使わない彼らとの「対話のコツ」を見つけていくことになります。
いま、当時の自分に声をかけるとしたら、迷わずこう伝えます。

その『これでいいのかな?』という疑問を、絶対に手放さないで!
現場には、「こういうものだから」と割り切って、何も考えなくなってしまう瞬間がいくらでもあります。
でも、その違和感を抱き続けることこそが、言葉を持たない子どもたちの微かなニーズを掴むための「大事な入り口」なんです。
もしあなたが今、一人芝居のような虚しさを感じているなら。 それは、あなたが子どもたちと「もっと繋がりたい」と本気で願っている証拠です。
このブログでは、私が15年間で見つけた、現場を少しだけ楽にする工夫や、サインを受け取るためのヒントを、少しずつお話ししていこうと思います。
ゆっくりで大丈夫です。 一緒に、この「特別支援教育」の面白さ奥深さを見つけていきましょう。
次回は、私が一番悩んだ「言葉を用いない子とのコミュニケーション術」について、子供たちの実態別に深掘りしていきます。

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